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蘇州のご紹介

皆様、大変お待たせいたしました。
今回は、名勝「蘇州世界文化遺産」のご紹介です。

蘇州は江蘇省東南部の太湖の東南側にあり、温和湿潤で四季分明の亜熱帯気候に属しています。城外は峯が起伏し、湖は点在しており、城内は河と交差して白壁に黒煉瓦という水の町の特色を持っています。2500年あまりの長い歴史を持つ文化の町蘇州、重点文物保護単位は500箇所あまりで、そのうち、国家級文物保護単位は10箇所あまりで、省級のものは59箇所あまり、市級のものは367箇所あまりあります。数量から見れば、北京、西安に次いでいる。この数夥しい文化遺跡の中で蘇州庭園がこじんまり、のレイアウト、静観、比較、吟味に堪えるような深い文化の中味で「江南庭園は天下を甲ずれば、蘇州庭園は江南に甲ずる」とされ、拙政園、留園、網師園と環秀山荘を典型例として、一九九七年十二月に、ユネスコに「世界文化遺産」に登録されました。
2000年十二月、滄波亭、獅子林、芸圃、藕園と呉江市の退思園など五つの古典庭園はユネスコが開いた二十四回世界遺産委員会では「世界遺産名録」に添加されました。
蘇州庭園は大小として200箇所あまりあり、自然山水の精髄を一体にして、中国文化の真義を体現するので、世界庭園建築史上では重要な位置を占めていて、国際上で中国建築中国文化及び中国陰陽虚実伝統思想体系を研究する範例となっている。こういったことから、蘇州庭園は、自然山水を極有限な空間に収める、格別な私人庭園の専用名詞となっている。



拙政園

東北街に位置し、明朝嘉靖年に建てられた。東、中、西と三つの部分に分かれており、中部は水を主として、自然素朴で明代遺風を持っている。西部は水廊がうねり、林木が盛り、清代の跡が多く残されている。庭園が静かで優雅であり、視角が移れば、景色も変わる、中国私人庭園の代表作である。








留園

留園に位置し、明朝嘉靖年に建てられた。全体を成す四つの部分がそれぞれ特色を持っており、庭園中に更に庭園があり、うねり回り。天に凌ぐ古木が古い庭園に趣を添える。最大の見どころは山水を主題とする中心部の景観だ。


網師園

網師園は蘇州南東部に位置する。南宋時代(1127〜1279年)、かつて蔵書家として知られた揚州出身の文人・史正志が所有した「万巻堂」の跡地に建てられた。面積は0.5ヘクタールで、蘇州庭園の中では最も小さい。亭や高殿、楼閣はいずれも水辺に配され、建物と水の調和は絶妙。典型的な明代建築とされる。我が国がアメリカのニューヨークの大都会芸術博物館へ輸出した明軒は正に網師園にならって建てたものです。



滄浪亭

滄浪亭は蘇州市南部に位置し、市内で最も古い様式の庭園とされる。北宋・慶暦年間(1041〜1048年)に建築され、南宋時代初期(12世紀前期)には、名将・韓世忠の邸宅として使用された。
滄浪亭の周囲は堀に囲まれている。内部は山・石が主題で、正面には築山があり、築山の上に「滄浪石亭」がある。築山の傍には池が掘られ、曲がりくねった復廊(中央部を壁で仕切った屋根つきの橋)が渡されている。築山の南東側には庭園の中心をなす「明道堂」がある。周囲にはこのほか「五百名賢祠」、「看山楼」、「翠玲瓏館」、「仰止亭」、「御碑亭」などの建物が配されている。



獅子林

元代末期の至正2年(1342年)、当時の名僧・天如禅師維則の弟子らが師のために出資して建てさせた。園内の竹林には、獅子に似た奇石が多数置かれている。「獅子林」の名は、仏教経典にある「獅子座」にちなんだものだが、天如禅師が浙江天目山・獅子岩の中峰禅師(普応国師)に師事していたことから、「獅子」と同音の「師子」(師弟の林)を掛け、師から弟子への教えの伝承を記念する意味も込められている。蘇州庭園にはつきものの亭、楼閣、回廊、高殿の美しさもさることながら、池や築山、奇石、入りくんだ溝や洞の独特な景観で知られる。



環秀山荘

蘇州で最も歴史の古い庭園で、晋代(265〜420年)までさかのぼることができる。宋の時代には、「景徳寺」と呼ばれている、五代(907〜960年)の頃には、「金谷園」と呼ばれていた。時代による浮き沈みを経て、清・乾隆年間(1736〜1795年)には蒋楫、華ゲン(「さんずい」に「元」)、孫士毅らが居を構え、池や築山、亭などを作らせた。孫士毅の子孫に当たる孫均(雅号は林泉)が嘉慶12年(1807年)、築山の名人として知られた造園家・戈裕良を招いて庭園を改修させた後は、築山の美しさで知られるようになった。道光29年(1847年)には汪一族の宗祠(祖先を祭る廟)「耕耘山荘」の一部として、「環秀山荘(または頤園)」と改名された。現在は蘇州刺繍博物館の一部となり、江蘇省の保護文化財に指定されている。97年にユネスコの世界文化遺産に指定された。



退思園

清朝光緒年(1885-1887)に建てられた、江南典型の貼水園で、中の亭や回廊や 船舫は皆水面に貼りつくように修造されたもので、池の水は外の河道にそっとつながり、 水位は年中は変わらないが、池の水は清冽でまるで鏡のようで、水郷の雰囲気に富んでいる。


藕園

藕園は蘇州市内の倉街小新町に位置して、元々は清朝始めの陸錦渉の園ですが、清朝初め、保寧知府である陸錦致が仕途やめて里に帰した後、ここで渉園を立て始めたが、一度小郁林とよばれました。その後、書道家の郭鳳梁の住居となった。継いで崇明祝氏別荘となった。
全園の構造はかなり上位なもので、黄石築山を全園テーマとしている、その積み重ねが自然で、位置適当で、形が険しくて、気象が雄渾で、蘇州園林の黄石築山の中での成功例でもあるが、実に鑑賞と遊びに耽るに値する処でございます。
東の園の面積は約4ムーで、山景観が主で池はその次いでに、重点引き立てて見えて、組み合わせが適宜で、主体建築は北にあり南向きで、複層楼閣に属している、これは蘇州庭園の中でも珍しい。


芸圃

芸圃、明の時代に建てられ、明朝の末頃で清朝の始め頃には、姜采に所有され、姜采は園名を「敬亭山房」に改名しましたが、その息子である姜実節はさらに「芸圃」と改名しました。1995年に江蘇省文物保護ユニットに指定されましたが、2000年にユネスコに世界文化遺産に指定されました。
園内の景色は朗らかで、風格が純朴で、園林が立てられた初期の構造が多く保たれて割に高い歴史と芸術価値を持っています。全園面積はただ五ムーあり、その総面積の約五分の一しか占めていない池水を中心としているが、水面が集中していて東南及び西南両角にはそれぞれ水湾が伸びて出ているが、水面上で形の違う石板橋が二つあるので水面が広くて流動性があると見えて、絶対に塞ぎや拘束感など感じさせない。



昆曲

昆曲は又昆腔と称されて我が国の優秀の劇種の1つとなり、今までは四百五十年あまりの歴史を持っています。
蘇州はその昆曲の古里です。昆曲の特徴は婉曲で悠揚であるから、「水磨腔」と称されていますが、人々に 「雅曲」ともされています。伴奏楽器には、笛、簫、三味線、琵琶、及び鼓、拍子、どら等を兼ねて使用する が、伝奇シナリオの歌いを主としているが、表現上は優美な振る舞い、舞どう性強いのがある、独特な芸術風 格を成していますが、百戯の祖と呼ばれています。2001年5月18日に、昆曲はユネスコに「人類口頭と非物質遺 産の代表作」として宣布されまして全世界人民の共有の文化財となったのです。